■奇門遁甲の伝説と歴史
奇門遁甲の起源は、古代中国の黄帝(こうてい)が蚩尤(しゆう)との戦いの最中に天帝(神様)から授けられたとされています。 この黄帝時代は、紀元前2510年~紀元前2448年頃とされ、紀元前26世紀にもなる古代中国の神話が元になっています。
黄帝(姓は姫姓 氏は軒轅氏)とは、蚩尤と涿鹿の野で戦い破り、諸侯の人望を集めて神農氏に代わり「帝」となり「黄帝」と呼ばれるようになります。 中国を統治した「五帝」の最初の帝であるとされる説もあり、中国領域を全て統治した開国の帝王とされています。 黄帝の時代の後の王朝である、夏、殷、周、秦の始祖とされる各帝王は、この黄帝の子孫とされ、現代でも多くの漢民族は黄帝を先祖に仰いでいるとされます。
蚩尤は、古代中国の伝説上の神様であり、意思や鉄を食べ、超能力を持っていたとされます。 魑魅魍魎を従え、自然現象を操り、黄帝の軍を翻弄しながら戦ったとされています。 黄帝は、戦争のために指南車を作らせたと史書に残り、明確な方位を基準にして戦争をしていたとされます。 伝説では、戦争時に蚩尤は霧を発生させ、黄帝の群を惑わせようとしましたが、この指南車を活用して方位を見失わなかったことから勝利されたとされています。
この一連の戦いの際に、軒轅(後の黄帝)が天帝(天地の創造主 神様)から奇門遁甲を授かり、明確な方位を基準にし勝利を得たというのが奇門遁甲の起源になります。 奇門遁甲は、その後の「周の時代」の軍師である呂尚(太公望(たいこうぼう))や「前漢の時代」の劉邦(りゅうほう)の軍師である張良(ちょうりょう)により作盤方法が整理されたとされます。 有名な「三国志(三国時代)」の蜀の軍師「諸葛亮」もこの奇門遁甲を活用し、常勝を得て「蜀」を繁栄させたとされています。(※この説は異論も多い)
奇門遁甲の伝説
古来中国から伝わる、この奇門遁甲は、単純な兵法だけではなく、呪術的な要素も含んでいたとされ、様々な場面で奇跡的な出来事を起こしてきたとされます。 現代の奇門遁甲の奥義(造作法など)では、このような呪術的な要素も持ち、奇跡的な事を起こす手法として伝わっています。
奇門遁甲の起源は、上記のように伝説上では4500年も前の事になり、その後の歴史上に名を残す名軍師たちの間で作盤法や使用法が体系化されていくことになります。 その過程で様々な流派が生まれ、古典的な奇門遁甲の一部が遺失し、新しい手法などを取り入れながら現代に伝わることになります。 現代の奇門遁甲では、流派ごとに作盤法や使用法が異なり、活用するそれぞれの遁甲家によっても解釈が異なることがあります。 中国本土では時盤のみの奇門遁甲の流派(劉氏など)が主流であり、台湾では年月日時盤と立向座山などを考慮する流派(透派)も存在します。
中国の古代史の説も実に様々なものがあるのと同じで、奇門遁甲の歴史も実に複雑で様々なものがあります。 どの流派が正しいのか?という疑問も生まれますが、現代まで残っている様々な流派は、その全てが実用性があり活用法があるために現存してるのでしょう。 そのため、現存する流派はそれぞれが正しく、根幹となる考え方などは古来から伝わる奇門遁甲に対して、共通するものがあると考えるのが良さそうです。
ここまで複雑な奇門遁甲が、4500年前に本当に存在していたのかという点については疑問もありますが、その後の名軍師たちの手により体系化されてきたことを考慮すると受け入れやすくなります。 また、奇門遁甲を活用する際には、このような歴史的な偉人たちが体系化してきたものとして向き合うことで、より分かりやすくなり、信憑性も増すことになります。 そして、ここまで壮大な歴史的背景があるとされる奇門遁甲を実際に活用することで、「事が起こり運が変わる」ことを体験してみると、非常に心が熱くなるものがあります。
奇門遁甲の歴史
第一説 | 第二説 | 第三説 | 第四説 | 第五説 |
天皇(てんこう) | 伏羲(ふっき ふくぎ) | 伏羲(ふっき ふくぎ) | 伏羲(ふっき ふくぎ) | 伏羲(ふっき ふくぎ) |
地皇(ちこう) | 神農(しんのう) | 神農(しんのう) | 神農(しんのう) | 神農(しんのう) |
人皇(じんこう) | 女媧(じょか) | 燧人(すいじん) | 祝融(しゅくゆう) | 黄帝(こうてい) |
第一説 | 第二説 | 第三説 | 第四説 | 第五説 | 第六説 |
黄帝(こうてい) | 伏羲(ふくぎ) | 太昊(たいこう) | 少昊(しょうこう) | 嚳(こく) | 黄帝(こうてい) |
顓頊(せんぎょく) | 神農(しんのう) | 炎帝(えんてい) | 顓頊(せんぎょく) | 堯(ぎょう) | 少昊(しょうこう) |
嚳(こく) | 黄帝(こうてい) | 黄帝(こうてい) | 嚳(こく) | 舜(しゅん) | 顓頊(せんぎょく) |
堯(ぎょう) | 堯(ぎょう) | 少昊(しょうこう) | 堯(ぎょう) | 禹(う) | 嚳(こく) |
舜(しゅん) | 舜(しゅん) | 顓頊(せんぎょく) | 舜(しゅん) | 湯(ゆ) | 堯(ぎょう) |
ここでは、三皇五帝で考える場合、三皇は第一節(第二節)とし、五帝は第一節として考えます。 また、易経を基盤として五帝だけを考える際には、五帝第二説として考えて行きます。 様々な考え方がありますが、奇門遁甲を含め、風水的な考え方としては、三皇五帝の考え方を基本とします。 三皇は「天皇 地皇 人皇(伏羲 神農 女媧)」、五帝は「黄帝 顓頊 嚳 堯 舜」として考えます。 中国神話や伝説の範疇を越えない内容などもありますが、思想や哲学などの基本背景を尊重し話を進めて行きます。
奇門遁甲などの古代中国を起源とする各種占術の歴史のまとめになります。 仮説や伝説などが多く、不確定要素の多い情報になりますが、この歴史の流れから中国占術の発祥や背景などを確認することができます。 中国占術の各歴史や古代の背景などの詳細情報などがありましたらご連絡いただければ幸いです。 各種情報が集まり次第、随時更新していきたいと思います。
人物 | 時代 | 内容 |
中国文明 | 紀元前3000年以前 | 古代の中国文明 黄河文明 長江文明など |
伏羲 | 紀元前3000年前後 | 易経の著者 八卦 六十四卦 河図 |
-- | 紀元前3000年前後 | 陰陽思想の誕生 |
-- | 紀元前3000年前後 | 原子文字の誕生 |
黄帝 | 紀元前2500年前後 | 天帝より奇門遁甲を授かる 東洋医学の祖 |
黄帝(仮託) | 紀元前2500年前後 | 黄帝内経 黄帝陰符経著 黄帝宅経 黄帝九鼎神丹経訣 黄帝龍首経 黄帝授三子玄女経 |
風后 | 紀元前2500年前後 | 黄帝の軍師 奇門遁甲より握奇陣を考案 |
青烏子 | 紀元前2500年前後 | 黄帝に求められ地理に関する経典を制定 地理風水の誕生 |
竜山文化 | 紀元前2500年前後 | 動物の肩甲骨を焼いて吉凶を占う文化の誕生 |
堯 舜 | 紀元前2100年前後 | 堯 舜の時代 |
-- | 紀元前2100年前後 | 五行思想の誕生 陰陽五行思想の誕生 |
-- | 紀元前2100年前後 | 堯により干支による暦の誕生 |
禹 | 紀元前2070年前後 | 洛書 治水事業 卓越した政治能力 |
夏王朝 | 紀元前2070年前後 | 禹が即位し夏王朝が誕生 |
殷王朝 | 紀元前1600年前後 | 天乙が夏を滅ぼして殷王朝を立てる |
-- | 紀元前1600年前後 | 甲骨文字の誕生 |
文王 | 紀元前1100年前後 | 周易の著者 易経を編集 卦辞を考案 |
周王朝 | 紀元前1100年前後 | 文王の息子武王が殷を滅ぼして周王朝を立てる |
周公 | 紀元前1100年前後 | 周易の著者 易経を編集 爻辞を考案 |
太公望 | 紀元前1000年前後 | 奇門遁甲を体系化 |
-- | 紀元前1000年前後 | 後の陽宅風水の基本が誕生 |
珞琭子 | 紀元前300年前後 | 命理が始まる |
鄒衍 | 紀元前250年前後 | 陰陽五行思想を体系化 |
張良 | 紀元前200年前後 | 奇門遁甲を体系化 |
諸葛亮 | 紀元後200年前後 | 奇門遁甲を活用したとされる |
郭璞 | 紀元後300年前後 | 葬書(仮託) 風水(陰宅 巒頭)の基本が誕生 |
蕭吉 | 紀元後600年前後 | 五行大義著 |
李筌 | 紀元後750年前後 | 太白陰経著(黄帝陰符経註) (巻九遁甲巻) |
-- | 紀元後850年前後 | 風水における巒頭の誕生 |
趙晋 | 紀元後950年前後 | 煙波釣叟賦著 |
邵雍(邵康節) | 紀元後1050年前後 | 梅花心易が誕生 皇極経世書著 伊川撃壤集著 |
-- | 紀元後1050年前後 | 風水における理気の誕生 |
徐居易(徐子平) | 紀元後1100年前後 | 子平(四柱推命)が誕生 |
徐升 | 紀元後1200年前後 | 淵海子平著 |
劉伯温 | 紀元後1350年前後 | 滴天髄著 奇門遁甲秘笈大全著 |
程道生 | 紀元後1600年前後 | 欽定四庫全書 遁甲演義著 |
甘霖撰 | 紀元後1600年前後 | 甘氏奇門一得著 |
余春台 | 紀元後1600年前後 | 窮通宝鑑改編 |
沈孝瞻 | 紀元後1750年前後 | 子平眞詮著 |
箬冠道人 | 紀元後1790年前後 | 八宅明鏡撰 |
※伝説上の内容も含みます。詳細な内容や年代などは不明な点もあります。詳細が分かる方はご一報ください。