きつねの奇門遁甲
- 軍師達が愛した秘術 -
-開運法の帝王 奇門遁甲の神髄-

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    その道の先に

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    何があるのだろう

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    それは開運への扉

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    それは天からの啓示

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    願いは叶う

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    そしてひとつ上の世界へ…

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■奇門遁甲解説 目次


■奇門遁甲の基本知識

奇門遁甲は古代中国から伝わる占術の一つであり、その背景には古代の中国で生まれた哲学(基本的な思想)が存在しています。 哲学とは、人生や世界、物事の根源のあり方や原理を求めようとする学問であり、中国古来から伝わる占術は、全てこの哲学を背景に持つことになります。 特に占術面で強い影響力を持つ思想は、「陰陽思想」と「五行思想」であり、両者を合わせて「陰陽五行思想」と呼ばれることもあります。 この陰陽五行思想を背景に持つのが、古来中国から伝わる占術では共通し、奇門遁甲もこの陰陽五行思想を背景にもつ占術になります。


陰陽五行思想を元に、的確な理論を持つ様々な考え方が生まれ、多くの占術が存在していることになります。 この陰陽五行思想を理解していないことには、奇門遁甲を含めて多くの中国占術を学ぶことができません。 中国の歴史の背景には、この陰陽五行説が常に存在していたというのも含め、理解しておくことが大事な基本思想になります。


この陰陽五行思想や十干十二支を元に六十干支が生まれ、暦が体系化されて現代に至ります。 古代の奇門遁甲は、後の名軍師たちの手により、六十干支による暦と併せて体系化され、現代に伝わる作盤法や遁甲式と言うものが生まれて行きます。 奇門遁甲の起源は、伝説によると紀元前2500年前後になるため、その間に様々な要素と合わさり、定型化して今に至ることになります。 奇門遁甲の背景には、このように陰陽思想や五行思想があり、様々な偉人たちの手により体系化されたものになります。


古代中国発祥の占術とされているため、時代背景やその経歴に様々な疑問が生じてきますが、学術的な研究は専門家に任せ、ここでは伝説的な背景を基本に解説をしていきます。 伝説上の話であるため、詳細に食い違いなどが生じますが、予めご了承ください。 歴史上では伏羲より前の時代には、歴史的に言われる「黄河文明」が存在している。


基本知識と奇門遁甲の歴史
基本知識と奇門遁甲の歴史
奇門遁甲の基本知識
奇門遁甲の基本知識

■陰陽思想と五行思想

陰陽思想とは古代中国の思想であり、森羅万象、全ての物事は「陰」と「陽」から成るという考え方になります。 陰陽思想は、陰があれば陽があり、陽があれば陰があるという考え方であり、どちらか一方では成り立たないというのが基本になります。 光が有れば影があり、山が有れば谷がある、男性が居れば女性が居て、表が有れば裏があるという考え方になります。 宇宙(天地)の全ては陰陽からなり、そこには相対関係が存在するというのが基本概念になります。


五行思想とは同じく古代中国の自然哲学であり、天地を構成する全ての物は「五行」から成るという考え方になります。 五行とはすなわち「木」「火」「土」「金」「水」であり、森羅万象はすべてこの五行で構成されているというのが基本になります。 この五行がそれぞれ作用し合うことで、自然現象の全てが説明できるとするものになります。 五行の関係には「比和」「相生」「相剋」の関係があり、どのような影響をもたらすのかを表します。


この陰陽思想と五行思想が結びつくことで、陰陽五行思想が生まれていくことになります。 五行に陰陽が生まれて十干と結びつくことや、十二支と結びつき、六十干支の陰陽五行思想における考え方が生まれて行きます。 陰陽思想からは八卦や六十四卦が生まれ、河図や洛書と結びつき、方位や数字の概念も持つようになり、五行思想と併せて様々な占術が体系化されていくことになります。


陰陽思想
陰陽思想
五行思想
五行思想
▼陰陽思想
陰陽事象
闇 暗 柔 地 雨 女 妻 母 裏 夜 月 谷 後 小 軽 湿 冷 死 受動 偶数
光 明 剛 天 晴 男 夫 父 表 昼 日 山 前 大 重 乾 熱 生 積極 奇数

▼五行思想
五行事象
木行樹木の成長や発育の様相。若木が芽生える春の象徴。
火行燃え盛る炎の様相。太陽が強く熱くなる夏の象徴。
土行万物を育成する大地の様相。季節の変わり目となる時期の象徴。
金行土中から採掘される鉱物の様相。刃物で作物を収穫する秋の象徴。
水行泉から湧き出る水の様相。寒さと雪や氷の多くなる冬の象徴。

▼五行象意
五行五方五季五色五常五情五臓五塵八卦
木行肝臓震巽
火行心臓
土行脾臓艮坤
金行西肺臓乾兌
水行腎臓

五行相性の図
五行相性の図
▼五行相生
五行
水 生 木木は水を得て成長する
木 生 火火は木があることで燃える
火 生 土土は火が燃えた灰から成る
土 生 金金は土の中から発掘される
金 生 水水は金が結露して生じる
五行相剋の図
五行相剋の図
▼五行相剋
五行
木 剋 土木は土の養分を吸い取る
土 剋 水土は水の流れを遮る
水 剋 火水は火を消す
火 剋 金火は金を溶かす
金 剋 木金は木を刈り取る

五行の相生は、世の中には単独で存在できるものは無く、必ず生みの親が存在するというのが基本概念になります。 人間には、必ず生みの親が存在し、人生を正しく生きるためには師が必要になるという考え方になります。 相性の吉凶では吉とされますが、愛情を掛け過ぎれば子が立派に育たないという側面も含みます。


五行の相剋は、世の中には勝ち負けが存在して勝ち続けるものは無く、繁栄と衰退を繰り返すというのが基本概念になります。 人生は勝ちばかりでも負けばかりでもなく、勝ち続けられることはなく負けても再起不能ではないという考え方になります。 相性の吉凶では凶とされますが、反骨精神で強く立派に育つこともあるという側面も含みます。


五行の相生相剋は、必ずしも良し悪しを決めるものではなく、何事も相対的に考える必要があり、良い面もあれば悪い面もあることを考慮する必要があります。 失敗失くして成功は無く、成功ばかりでは成長もないというような考え方が陰陽五行思想の基本的な考え方になります。


■十干 十二支 六十干支

古代中国では、数の数え方として十干「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」(1~10)が使用されていました。 また、天体観測の座標の目安として十二支「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」(1~12)が使用されていました。 十干は1~10の数を表しており、十二支は天体の座標(方位)0~360度(十二支各30度)を表しています。 この起源は、紀元前3000年ごろの「伏羲」の時代から紀元前2500年ごろの「黄帝」の時代に確立されたものと思われます。 もしくは、それ以前の中国文明(黄河文明や長江文明)の頃から存在していた可能性もある学説もあります。


これらの「十干」「十二支」が陰陽思想や五行思想と結びつき、六十干支が生まれて暦が体系化されていくことになります。 この時期は紀元前2000年ごろの「堯 舜」の時代であり、堯により六十干支の暦が体系化されていきます。 この六十干支の暦は、後の中国占術に非常に重要になる要素であり、十干十二支と六十干支を把握しておくことは、中国占術を活用する際には最低限必要なことになります。 まさに中国語を学ぶ上での漢字や、日本語を学ぶ上での漢字やかな(カナ)、英語を学ぶ上でのアルファベットというような具合に、知らないと先に進めない重要な点になります。


また、十干の基本的な考えとして、数字としての十干だけではなく、陰陽五行思想と合わさった十干の基本的な概念が大事になります。 陰陽思想の「陰と陽」五行思想の「木火土金水」を考慮し、「木の陽は甲」「木の陰は乙」「火の陽は丙」~「水の陰は癸」というような背景を考慮することが大事になります。 現代では、「甲」は「きのえ」と呼び、五行木行の兄として解釈されていますが、元々の意味は数字の「1」であり、五行の木が割り振られ、陽の兄が合わさったのが「甲」になります。 同じように、五行の要素と陰陽の要素が合わさり、十干が陰陽五行を持つ要素となっていきます。


十二支の基本的な考えとして、方位の子(北0度)から各30度ずつ12分割して十二支が誕生し、五行思想の方位概念と合わさることになります。 北は五行では水行となり、子の方位の五行は水行となり、子は水の気を持つことになります。 同じように東西南北を五行の方位と合せて十二支の方位と五行が合わさり、その中間が土行となり十二支が五行の概念を持つことになります。 この十干十二支で構成された六十干支が暦に使われ、体系化されていくことになります。 十二支の陰陽は、「子が陽」「丑が陰」「寅が陽」~「亥が陰」となり、陰陽が交互に十二支に配当されています。


古代中国の干支暦
古代中国の干支暦
十干十二支と六十干支
十干十二支と六十干支
▼十干の読みと詳細
十干読み五行陰陽数字
こう きのえ木行1
おつ きのと木行2
へい ひのえ火行3
てい ひのと火行4
ぼ つちのえ土行5
き つちのと土行6
こう かのえ金行7
しん かのと金行8
じん みずのえ水行9
き みずのと水行10

▼十二支の読みと詳細
十二支読み五行陰陽方位季節
水行 0
うし土行 30土用
とら木行 60
木行 90
たつ土行120土用
火行150
うま火行180
ひつじ土行210土用
さる金行240
とり金行270
いぬ土行300土用
水行330

▼六十干支
甲子乙丑丙寅丁卯戊辰己巳庚午辛未壬申癸酉甲戌乙亥
丙子丁丑戊寅己卯庚辰辛巳壬午癸未甲申乙酉丙戌丁亥
戊子己丑庚寅辛卯壬辰癸巳甲午乙未丙申丁酉戊戌己亥
庚子辛丑壬寅癸卯甲辰乙巳丙午丁未戊申己酉庚戌辛亥
壬子癸丑甲寅乙卯丙辰丁巳戊午己未庚申辛酉壬戌癸亥

■八卦と八方位

奇門遁甲は各方位の土地の気を読む占術になりますが、その方位の基準となるのが八卦とそれを基準にした八方位になります。 八卦とは、古代中国の陰陽思想から生まれた易による基本図像であり、古代中国の伏羲により考案されたとされるものになります。 紀元前3000年前後の時代、伏義が黄河から突如として現れた龍馬の背にあった模様を参考に「河図」が生まれます。 この「河図」を元にして生まれたのが、伏羲先天八卦になります。 八卦の生成過程としては、太極から両義「陽陰」が生まれ、両義「陽陰」から四象「太陽 少陰 少陽 太陰」が生まれ、四象「太陽 少陰 少陽 太陰」から八卦「乾 兌 離 震 巽 坎 艮 坤」が生まれます。


この後、古代中国の禹が治水事業を行っていた際に、洛水から現れた亀の背にあった模様を参考にして「洛書」が生まれます。 更にその後の殷王朝末期~周王朝創立の時代、文王の手により八卦と洛書が合わさり、後天八卦が誕生します。 後天八卦は易経の説卦伝にある生成論による「乾 坤 震 巽 坎 離 艮 兌」とされています。


八卦生成過程
太陽少陰少陽太陰
太極
後天八卦図
先天図河図 伏羲 紀元前3000年前後
後天図洛書 禹 紀元前1900年前後
先天八卦乾 兌 離 震 巽 坎 艮 坤
後天八卦乾 坤 震 巽 坎 離 艮 兌

この先天八卦や後天八卦は、古代中国から伝わる様々な占術に強い影響力を持ち、理解しておくことが必須ともいうべき重要な内容になります。 奇門遁甲を活用する際にも、この洛書の概念と八卦の概念は非常に大事になり、作盤する際には外せない重要な根幹になります。 洛書は縦横斜めに配当される数字を足すとどれも十五になるという西洋占術、東洋占術共通の魔法陣になります。


また、中国占術で方位を考慮する際には、必ず上が南になります。 これは、古代中国では太陽を基準に農業などの様々な研究がされてきたため、太陽が高く上がる南が上になるという基準になります。 太陽は東から昇り西に沈むように、左が東になり右が西になります。 これを基準に左~上~右~下に移動するのが順行(時計回り)、その反対になるのが逆行(反時計回り)になります。 この南が上になるという方位概念は、地図上の方位とは真逆になるため、中国占術で方位を考慮する際には注意が必要になります。


河図 十数図
河図
河図 十数図

火行
二 七

木行
三 八
中央
土行
五 十
西
金行
四 九

水行
一 六
洛書 九数図
洛書
洛書 九数図

南東
木行


火行

南西
土行


木行

中央
土行

西
金行

北東
土行


水行

北西
金行
先天八卦図
少女
兌卦
兌沢
父親
乾卦
乾天
長女
巽卦
巽風
中女
離卦
離火
太極
中男
坎卦
坎水
長男
震卦
震雷
母親
坤卦
坤地
少男
艮卦
艮山
後天八卦図
長男
巽卦
巽風
中女
離卦
離火
母親
坤卦
坤地
長男
震卦
震雷
太極
少女
兌卦
兌沢
小男
艮卦
艮山
中男
坎卦
坎水
父親
乾卦
乾天

奇門遁甲では、洛書の並び順に移動するのが「陽遁」、その反対になるのが「陰遁」となります。 冬至から夏至までの日が伸びて行く期間が「陽局」になり、特定の要素が「陽遁」になります。 夏至から冬至までの日が縮んで行く期間が「陰局」になり、特定の要素が「陰遁」になります。 流派により異なりますが、陽遁と陰遁は日盤と時盤において「冬至 夏至」の付近で切替ります。 立向盤と座山盤を考慮する場合には、年月の座山盤が陽局(陽遁)になり、立向盤が陰局(陰遁)になります。 陽遁と陰遁では、その巡り方は正反対になり、その作盤時の局数などにより開始する場所(九宮)が変わるのが奇門遁甲の作盤局数の特徴です。 下記の図は分かりやすいようにしてあります。


陽局 陽遁
陰局 陰遁

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